アメリカンランゲージスクール調布校の創立者でもあり、学院長でもある吉田パトリシア先生は、生涯の約半分を家庭と子育てに捧げた熱心な主婦でした。
日本人の夫と結婚し、娘にも恵まれたパトリシア先生は、その後夫の転勤により16年間に渡ってメキシコ、日本、アメリカ、イタリア、オーストラリアの合計5カ国を移り住むことになります。
そこで母として課せられた課題は「娘の言語習得」でした。どうすれば娘は自分の母語であるスペイン語、父親の母語である日本語を習得し、さらに移り変わる現地の生活に馴染める言語習得ができるだろうか。その後、努力と根気の成果あってか、中学に入学する頃には娘は日本語とスペイン語はもちろん、英語とイタリア語も堪能に使いこなせるようになっていました。
「娘は語学を学んでいるという感覚は一度もなかったと思います。伝えたいことを気持ち良く伝えられるようになってほしい。それだけが最終目標だったのです。」
娘が中学校に入学した頃、パトリシア先生はアメリカの大学院で学ぶ機会に恵まれます。専攻はもちろん「第二言語習得学」。しかし2年間に渡る勉強を通じてパトリシア先生は驚くべきことに気付きました。
「大学院で学んだこと全てが、母として娘を育てた実体験の裏付けるものでした。あ、あの時やったのはこういう名前の理論の応用だったのかと再確認させられることばかりでした。」
その後パトリシア先生は、米国 Framingham大学教育学修士課程を好成績で卒業。次の目標が見えてきました。それは『日本で語学スクールを開きたい』というものでした。
「今の日本の語学教育はまだまだ『勉強である』という意識が強いように思います。学校のテストや受験に受かることは、大切なプロセスでありながらも、語学の最終目標ではありません。今の日本はまだ狭い国ですが、これからどんどん広くなって世界へ出て行かなくても世界が日本に入ってくる時代になります。
そこで自分にはどんなことができるのか。語学を学ぶことは、可能性をたくさん見つけられる人になることなのです。
生徒が未来に向けて可能性を広げるための『今』の学びを、自分の経験の全てを使って支えたい。そういう気持ちでスクール開校を決めました。」
アメリカンランゲージスクール調布校が2001年4月に開校してから、徐々に生徒数を増やし、たくさんの生徒と出会い、たくさんの生徒の成長を見届けることができました。
「アメリカンの生徒ひとりひとりが私の誇りです。」パトリシア先生は今日も嬉しそうに生徒さんと触れ合い、かつて娘に向けられたのと同じ熱心さでもって、たくさんの人の可能性を広げるための教育に取り組んでいます。